Blue Flower

会員の感想から

二日間の集会、参加された皆様、お疲れさまでした。発表者のレポートから、そして参加者からの質問や意見から、私も多くのことを学ぶことができ、実り多い二日間となりました。

岸先生の講演です。事前に本を読んでいたので、お話を聞くのがとても楽しみでした。子どもとの関わりの様子が具体的にわかるとてもすてきなお話で、あっという間に終わってしまった感じがしました。最後に話していた、「荒れの中に発達要求がかくされている。それにより添い励ますのが教師の役割。困った子は困っている。」という言葉が特に心に残っています。

山本さんのレポートでは、元気な子どもたちを目の前にして、読み聞かせやお楽しみ会など学習・生活の中で様々な工夫をしてきたことがわかりました。私なら大変な状況になったら焦ってしまい空回りばかりしてしまうのですが、ひとしさんは「子どもたちに頼る」ことも大切にし、その中で子どもたちの優しさに気づいたり成長を見つめることができたところが良いなぁと思い、参考になりました。

中里先生の報告では、学級の係活動がすごい!と思いました。と同時に、私の今のクラス(五年生)の係活動を振り返り、私自身の反省点に多々気づかされました。残り三学期の係活動が中里学級のように生き生きとしたものになるよう、もう一度考え直します。学習のレポートの方はまだ全部読み切っていないので、冬休み中にゆっくりと読ませていただきます。

斎藤さんのレポートは、「ぼくのお姉さん」の授業をしたという実践報告でした。学級にはほとんど話さない子、言葉遣いの良くない子など、いろいろな子がいるけれど一人ひとりをとても大切にしていて、付箋に書いたことを拾ったり子どもとの会話からその子の気持ちを受け止めたりなど、春ちゃんの温かさが伝わってきました。「ぼくのお姉さん」のお話は初めて知りました。他にもシリーズがあるということなので読んでみたいと思います。(本屋さんに売っているのかな?)

村越先生の玉ねぎの実践、興味深く聞かせていただきました。レポートの中にあった「玉ねぎの未来予想図」のプリントは、他の野菜のときでも使えるなぁと思いました。参考にさせていただきます。最後の方に書いてあった井上さんへのお手紙の中で「農家をやってみたくなりました。」と書いた子がいました。きっと、玉ねぎの学習をする前はそう思っていなかったのではないかと思います。それが「やってみたくなった。」と思えたのは、草取りなど大変なことはもちろんあるけれど、それ以上に作る・育てることの楽しさや魅力を感じたからではないかと思いました。

関本先生です。ゴマを育てる実践は初めて聞いたので貴重な実践だと思いました。子どもたちが23500粒のゴマを数えたこと、ゴマに名前をつけたこと、パッケージデザインや説明を考えたこと、ただゴマを育てるだけではなく、子どもたちが夢中になって取り組める活動がちりばめられており、村越先生の玉ねぎ作りと同様、年間を通して子どもたちからゴマに積極的に関わっていく様子が伝わってきました。レポートとは全然関係ありませんが、マンゴーのグミがおいしかったです。

講座では、かけわり図などを使った視覚的にもわかりやすい模擬授業、そして各学年のポイントを整理したレポートなど大変参考になりました。昨年度、一緒に学年を組ませていただいたときにも「10の補数の下敷き」や「ダイヤモンドカード」を教えてもらい、実際に使ってみると、子どもたちは遊び感覚の中で数を身につけていくことができました。資料編では写真でもわかりやすく説明しているので、参加された皆さんも大いに参考になったのではないかと思います。

 


参加者の感想から(一部)

初めて参加しましたが、参加させていただいて本当に良かったと思います。仕事だけでなく、子育てにも役立てたいと思います(父母・一般)

今回初めて参加させていただきました。いろいろな実践講座はとても勉強になりました。先生方の熱意が伝わってきて、すごいなあと感心しきりでした。資料づくりでのアイデアとか、伝え方のポイントなんかもあって、つぎ、私も使っちゃおうかなと思ったりしました。おみやげもありがとうございました。自分がやっていることと少しリンクするところもあって、本当に考えてつなげる、久々に違う場所の脳みそを使いました。ありがとうございました。(父母・一般)

子どもたちの実態や取り巻く環境に即した様々な実践にふれることができて、勉強になりました。模擬授業で扱われていた分数の割り算は、いつも悩むところなので、今日も悩みながら考えさせられました。楽しい二日間でした。ありがとうございました。(教員)

講義をじーっと聞くタイプの研修が多い中、久しぶりに考えたり思い返したりできる研修に参加できたと、すごく充実した時間だったと思っています。なるほどと思ったり、そうそう、とうなずいたり、発見や確認ができる、「あ、今度やってみたい』と思える内容でした。職員の輪も大切ですね。ありがとうございました。(教員)

採用同期の先生に誘われて参加させてもらいましたが、同じような問題意識を持っている先生がたくさんいることがわかり、とてもよかったです。これからも一緒に勉強する機会をつくれればなあと思いました。ありがとうございました。(教員)

 

盲腸で入院をしてしまいました。この学期末に患ったため、終業式にも出られず、ちょっと物足りない2学期の終わりを迎えてしまいました。

でも、休む私に届く子ども達の姿のはなしに、ちょっと安心して養生することができています。

入院する前、子ども達と二学期のお楽しみ会の計画を立てていました。最初の議題は、

『なぜ、お楽しみ会をするのか?』

お楽しみ会ありきではなく、そのねらいは何かを確かめていく作業です。

「思い出を作るため!」「思い出?まだ三学期がるじゃない、それへんだよ。」「いや、冬休みはみんなと会えないから。」「え、さみしいのかい?」(爆笑)…

こんなやり取りもありつつ、子ども達は核心に迫ってきます。

 「二学期はとても長かったから。」

「お祭りや行事で頑張ったよね」

「そうそう、パーッとやりたいよね!」

「あ!子どもの忘年会だ!」  (大爆笑)
 

そうです。『忘年会』です。何を忘れるのかはよくわかりませんが、二学期の打ち上げです。こうやって子どもたちは、お楽しみ会の意味を見出し、内容を決めていくのです。

文部科学省は特別活動の時間に 『子ども熟議』 という言葉を提示しました。まさに、子ども達の自治活動を後押ししようというねらいがあります。この言葉、今現場の教師でどれくらい知っているのでしょうか?

学力向上という言葉のもと、学校現場すら子ども達の楽しみにしている、そして子ども達の自治活動が発揮できる様々な行事を減らそうとする動きがあります。これはもったいない。人間の力はいわゆるペーパー学力だけではないのに。文部科学省も子ども熟議を押しているのにです。

先の『子どもの忘年会』で、ビンゴ大会を企画するチームがありました。チームのメンバーの一人、まさたか君が自宅にあるビンゴゲームを持ってきて行うという計画を立てたのです。ところが家に帰ると、あると思っていたビンゴゲームが無かったまさたか君。お母さんと相談をして、『順番に好きな番号を言い合ってやればいいんじゃない?』と、計画を変更しました。

しかし、ちょっと不安なまさたか君。自宅療養で帰ってきていた私に、事の顛末を相談してきました。私はもちろんOK。

 「じゃあ、明日来てくれる代わりの先生も伝えておくけれど、まさたか君も自分でみんなに説明をしてね。」と話し、電話を切りました。

 翌日のお楽しみ会は成功だったようで、届いた手紙に「今日のお楽しみ会は無事うまくいきました。昨日は夜遅くにすみませんでした。」とお返事が書いてありました。

このまさたか君の経験は、きっと他にも生きるのです。

他の子ども達の手紙の中には『今までで一番楽しいお楽しみ会でした』とも書いてありました。役割を分担し、話し合い、どうすればうまくいくか考えあい、実施する。そういう経験があったので、やり切った感もあったのでしょう。<BR> 子ども忘年会は、子ども達に忘れられない経験をさせてくれたのでした。

だいたいどこの学校も2学期の終業式が終わり冬休みに入った頃です。
終業式では、単学級の学校では「がんばり発表」といった学級発表や、大きな学校では代表による作文発表などがあるものです。

以前に勤めた学校で、この「がんばり発表」の本質について語り合ったことがあります。

学級として取り組むがんばり発表の中身として、「歌をうたう」「自分ががんばったことを話す」というのが一般的でした。そんな中で、話題にしたのは「学級(学年)しての意識をどう持たせるか」がありました。

子どもたちにとって、全校の場で発表するというのはなかなかない経験です。

そうした機会に、『自分たちは学級の仲間として、こんなことができるようになったよ』という意識を学期末に持つことの意義は大きいと思います。その上で「歌をうたう」のは、単に「がんばり発表だから歌います」とは違うはずです。

そんなことを先生方で話していて少しずつ広まっていた…そんな記憶があります。

これはもう5年くらい前の話。なぜ、これを思い出したかというと、とある中学校での話を聞きました。

その中学校は、学年の代表が終業式で作文を読む…といいます。やはり、個人的な内容(部活とか進路とか)になりがちな中、担当の子と打合せをしていて、「学年としての視点でね!」と理解を図り、作文の中身はまかせたとのこと。

終業式を終えての教室で、そんな経過を子どもたちに話したところ…

「先生が文章考えたの?」
「ちがうよ、打合せをして(その子が)自分で考えたんだよ。〔以下、意図を話す〕」
「そういうことか!なんか違うと思ったんだよね」
「そうかぁ、すごいなぁ。いい発表だったね」

と2学期を締めくくったそうです。

「なぜ、終業式で作文を読むのか」ということの、価値を考えて子どもたちと話すことの大切さ。

「この取り組み」の本質を見抜く。そうすることで、子どもたちと意義ある日々を過ごせる。

これって校種や場所を問わない普遍なんだと感じるひとこまでした。

いつも手元に置いてある自分の学年の指導計画はもとより、行事の位置づけや取り組み方まで、「この子どもたちとどんな実践しよう」と考える時に大事なものに、教育課程があります。

学習指導要領の改訂に合わせて行う大がかりな教育課程づくりで「教育課程を語る」こともあれば、日々の実践を考えるに当たって、地域や学校の実態に合わせて作られた教育課程をもとに「こういう実践やってみよう」と「教育課程で語る」こともあります。

教科書会社が作った指導計画の寄せ集めが、すなわち教育課程で、それをやらなきゃというふうに感じがちです。「教育課程を流す」感じになりがちです。

それではもったいないと思うのです。

教育課程で語り、目の前の子どもたちに、出逢わせたいヒト・モノ・コトをうまく散りばめていき実践を紡ぐ。

そして、子どもたちの一言一句を聞き逃さずに、その声が実践の筋道になっていく。
こうした学びを創ることというのは、ヒト・モノ・コトをつなげる力や子どもたちの声を土台に授業を進めていく力なんだと思います。
とてもダイナミックに見えるけど、ここに授業づくりの本質のひとつがあるように思っています。

総合的な学習や理科・社会などで、地域のみなさんを学校に招いて、黒板の前に立っていただくこと、とっても大事だと思っています。

難しい言葉で、外部なんちゃら(外部講師とか)とかゲストティーチャーとかいろんな呼び方がありますが、基本は「地域の●●さん」なんだと思います。それが、「来てくれる●●さん」にとっても、子どもたちにとっても、ごく自然なことなんだと思います。「●●さんが学校に来てくれたよ」というように。

「学校の先生」は授業のプロ、教室にいるプロですが、実は地域のことはあんまりわかっていないところが多くって、そういうのはやはり地域のみなさんにお世話になるのが一番。

そのうえで、来ていただくことになったら打合せをします。

「子どもたちにこういう経験をさせたい。●●さんがお仕事で経験されたあんな話を伝えてほしい」というように、簡単な指導案など企画書をもとに話をしつつ、細かなところはおまかせしちゃいます。

そうすると、予想もしてなかった道具をもってきてくれたり、「学校の先生」としての自分が思っていた以上のことが実現したりするものです。方針と方向性が一致すれば、素晴らしい教育活動が実現できる…ということです。

ところかわって職員室。先生方の打合せ。

「あれはこういうふうにやりましょう。」「この教科では▲日までに教科書のここまで…」という会話になりがちです。
 

もちろん、現実対応としてこうしたやり取りは大事です。
 

ただ、
  「この取り組みでは子どもたちにこんな力を身に付けさせたいね。」
  「毎日叱ってばかりだけど、今の学年の様子を子どもたちとどうしたらわかりあえるかな」
  というような、方針と方向性はとっても大事なんだと思います。この大きな部分が一致できれば、あとは教室にいるプロとして、ひとりひとりの先生の個性が光ってくるはずです。
  こうした考え方をもとに、子どもたちの様子を思い浮かべるのって、教師冥利につきるひとこま…なのではないかと思っています。