| 『抱きしめて「総合」「小さな小さな大豆マンの大きな大きな夢の冒険』(3) 佐藤 広也 ■2.これは学力ではないのか 学力の剥落 中国人留学生との会話の中で、「9・18、7・7」ということばが出てきた。これにすっと答えて、「その日起きたことは日本でも忘れないという人たちがいて不戦の誓いをあららにしています。」と言った時の、彼らの驚きの顔。「日本からの中国への留学生と話してて誰一人答えられないのです!」と言われもした。私たちは確かに歴史を学んできたのだが、教師であっても、9/18、7/7の日付についてさっと答えられないのはなぜか。それは使わないから剥げ落ちているのである。またそれだけではなくそのことの意味が身体に刻まれていないからでもある。学力低下を理系の大学からの問題提起としての声には、「できない」「しらない」ということに焦点があたった。、入試をくぐり抜けたはずの「学力」も急速に剥がれ落ちる。端的にいって、できることがわかることと確かに結びついて獲得されてはいかないことがあまりに多すぎる。今日、わかった=よろこび、とは必ずしもならないのであることを確認したい。わかっても決して楽しくはない。それがどうした?の世界がある。いずれもそこに不易流行があって、例えばコンピュータが加味されるということである。 |
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