『抱きしめて「総合」「小さな小さな大豆マンの大きな大きな夢の冒険』(4)
佐藤 広也

3.実践と学力について あたりまえの「学力」

(1) おぼえる・つかえる・できる学力
「教科」というものの内容と目標によって<基礎基本>を獲得していくことは学力の構成部分である。大豆が植物であり、商品であり、食物であるということを知っているということとと、計算ができたり、元素記号を覚えたり、楽典を覚えたりということであろう。

(2)  だからこうなんだの学力
どうして大豆はいろいろなものに変身できるのかということである。かけ算の「かける」ってどういう意味なの?15年戦争の始まりと終わりはどのようにして迎え、それはなぜなの?という、なるほど「ほうそうか」の部分の「学力」である。ここの重視がすっとんで、コミュニケーションスキルだけが取り出されたり、「受験学力」だけが重視されていたら、至極簡単に学力は剥落していく。

(3) 私の世界を創る、物語る学力
1,2の学力の総体として、それらの学力を使いこなしていけるかどうか、ということではないか。集団から切り離された個ではなく、他者と関わりながら、自分自身で選びながらその世界を形作っていくことは、作文や作品、表現された「もの」として見て取れるだろう。1,2部分を豊かに鍛えていくことはこの3についての視点を学びを主体的にリードして作る仕事の先端にあたっている職ににいるものもまたそうでないものにとっても重大なことなのである。123を便宜的に浮きだたせる事の意味は、そのどれもが重要なことであり、その連関を大事にして学びを創ってきたという自負がわれわれにはあるからだ。自らを語るということはその学びや<知>を個々に閉じこめず開花していく可能性を学校でも地域でも無論家庭でも存分に保障するということである。
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