『抱きしめて「総合」「小さな小さな大豆マンの大きな大きな夢の冒険』(4)
佐藤 広也

4.大豆探偵団が行く時

 札幌という180万人を越える大都市で山はあるが田畑も酪農もない住宅街。ダイズを学級園に育てることを軸に、伝統的豆腐店、現代的豆腐店を比べ、自分たちで豆腐を作り、様々な大豆製品のラベルを持ち寄り、メーカーに手紙を書く。石臼を挽き、ずんだを作り、俳句を書き、すべてのエキスをぶちこんで、学習発表会で標題のような劇を上演した。

  1. だれでもできる共通の手法として、ものを集める、記事を集める、聞き取りをする、実際 に現場に立つというフォーマル、インフォーマルな「探偵・探偵団」という手法を取る。
  2. こうして集められた資料と情報を<接続する=only connect>という視点でいろんな活 動をちょっと作ってみる。探偵した資料を<分析>する。おかし、麺、くすり、化粧品、ペットフードやスイカバーの種からインクにまで大豆が入っているという現実が見える。
  3. それほど大量に使う大豆であれば、大量にどこかで栽培されているに違いない。北海道は豆の産地である。
  4. しかしどの豆腐屋も多くがアメリカ産大豆なのだった。
  5. 減反で豆への転作も進んでいる。
  6. 屯田兵が持ち込んだ「大豆」は名字であり、それは「だだちゃまめ」であったり、「トヨ ムスメ」の祖先であるというふるさとが本来ある。
  7. 豆腐料理を作るための買い物で、レシピと値段と味を考えながら料理を作る。
  8. 中国人留学生との「大豆」の授業、「上海事変」から説明していく。

 そうした学びではじける子どもたちができることを提案。
 調べる「ため」の「調べ学習」、発表する「ため」の訓練がくり返されそこに無意味な「学びの反復」と称して読み書き計算が付加されるとき子どもの学びは新しい生き悩みがくり返される。読み書き計算の「能力」が生きて働く場そしてその能力は確かにいる。確かに必要、ということが本来必要とされる学びにきちんと接続することこそが大事だと思う。何をこそ調べ、何をこそ発表していくことがこの子どもたちの人生にプラスになっていくのかの見通しをたてていくこそ学力というものの内実ではないか。
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